続・インターネット大学院の不認可

先週の金曜だっただろうか、アンテナで以下の記事が書かれているのを見つけた。

インターネット大学院の不認可
http://tree.ep.u-tokyo.ac.jp/archives/2005/11/post_49.html

そして、文科省の答申を読んだ。

インターネット大学院大学を「不可」とする理由
http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/daigaku/toushin/05112501/002/002.htm

旭に関しては、信大IT生としての所感からも、ごもっともな 結果だったと思う。そして、あっさり凍結と言い放ってしまうところに、なんとも言えない哀しさが。

先のブログのエントリで指摘されている通り、この寺子屋的学長室自体は本質的な問題ではなく、やはり教育の質を
担保するための説明が足りて いないのではないかと思う。そして、受講してきた学生としての視点からは、 文科省の懸念どおり。

また、社会認知的にも先頭を走っていた学校としては、あまりに身勝手。

金曜の夜は、何か書き残しておこうとも思ったが、いろいろ見て回って考えているうちに、少し時間をかけて考えて
みようと思った。

そして今朝、その記事にトラックバックが。しろだぬき って・・・

しろだぬき研究室:再申請断念
http://blog.goo.ne.jp/shirodanuki/e/8b87b2c241731917b90200e2cfc69ca8

これを読んでも、一点の非を認める事もなく「不認可ありき」とかき立てて、印象よくないです。

F.D. などについても 従来の通学制で行われている手法の踏襲+ネットでの公開を原則とした透明性確保を説明しています。

とも書かれていますが、(F.D.は、おそらく facilitate development ?)信大の掲示板で公開されている学習の状況をみても、数名の貢献者がサポートをしてくださっている状況ではあるものの、かなりネットを使いこなす人でなければどこに何があるか、どこで誰に何を聞けばいいのか、何をいつやって、終わっていないもののうち、期限のある課題がどれだけあるか等々、本来学びたい学習に、スムーズに取り組める状況ではないです。

確かに、オープンにはなっています。ただ、オープンという事は、そこに書く事にも責任が生じ、書くに書けないでいる学生がいるのではないかという心配も出てきます。「オープンにしているのだから、恥を承知でかいているのだから、月謝を払っているのは貴方たちなのだから」と言われても、踏み切れないでいるかもしれない状況に対して、黙々とCAIをこなし、見事に卒業していく という見方をしていると、需給のアンマッチを見過ごしている事になります。

信大のインターネット受講は、あまりに自由すぎます。いつでも、どこでもは、とてもいいことですが、期間に制約がないのは考えようものです。同じペースで進んでいてこそ、「今年のクラスは」と指導する事もできますし、同時期に学んでいる学生同士も、比較的近いペースで進んでいて、相互に学習する事も、刺激しあう事もできます。これは、対面でも同期でなく、ただ限りなく同期に近い非同期で進行する事で実現できます。そういった意味では、後期開講で通学生と同じペースで課題が出される科目の方が、よっぽど真剣に取り組む事ができました。

インターネット大学院や、それ以前から博士課程で取られていた遠隔指導の実績を、的確に伝える事ができたなら、認可への大きな後ろ盾になった事と思います。卒業生や在校生は、このニュースに対して、文科省と学校の、どちらに失望感を抱いているでしょうか・・・